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週刊 新選組!!!

第二十四回「海上から寒川、山背泊を巡る(2)」

[2011年12月19日]

▲寒川と山背泊を隔てる岬

 

昭和32年まで寒川に居住していた人々が

函館の街に向かうルートは、

悪天候で波が高くなければ岬に造られた

道を通って山背泊に向かった。

岬の岩壁をコの字型にくり抜いて造られた当時の道の跡、

また洞穴を跨ぐ吊橋跡の橋げたが残されていた。

 

 

岬を抜ければ山背泊だ。箱館戦争史上、

新政府軍急襲の上陸地として紹介される寒川と山背泊は、

まったく別の地域という訳ではなく

岬で隔てられてはいるものの

隣接している地であることがよくわかった。

 

 

明治元年12月の蝦夷島政権樹立以降、

土方歳三は箱館市中取締をその任務のひとつとして

箱館に居住しており、新選組もまた箱館を

その持ち場として市中の警備を担当していた。

 

 

明治21月ごろに箱館を調査した

新政府軍スパイの報告書には

山背泊を警備する新選組隊士の名前が

驚くほど正確に記載されている。

有名どころでいえば、「中島登」が

番兵取締りとして任務に就いていた。

 

 

新政府軍の蝦夷島上陸が迫ると新選組は

寒川もその警備地点に加え、511日を迎えることになる。

函館山麓の山背泊と寒川は、

15日に恭順する新選組の最後の戦いの地でもある。

 

 

次回は箱館にあった土方歳三の居住地を紹介します。

 

 

 

▲岬を削って造られた道跡

 

▲吊橋跡

 

▲岬から山背泊を望む

 

▲山背泊

 

 

 

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