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季節と時節でつづる戦国おりおり

戦国FA武将

[2012年1月30日]

ダルビッシュ投手のテキサス・レンジャース入りが決まり、
あとはFA(フリーエージェント)のゴジラ松井がどこへ行くのか、
アメリカメジャーリーグに対する
日本人の興味はその一点に絞られて来た。



さて、FAといえば、戦国時代は
「主君を七度変えねば武士とは言えぬ」
と豪語した藤堂高虎に代表されるように、
FAで次々と大名家を転職していったサムライもいた。

その代表格は、大坂の陣で活躍する事になる後藤又兵衛だろう。

又兵衛基次(もとつぐ)は黒田如水・長政父子に仕え、
気の合わない長政と息子の事で大喧嘩して
家を飛び出したあと池田輝政・細川忠興と
豊臣恩顧の荒大名たちの世話になった。

しかし、長政がこれに苦情を唱えたためFAに失敗し、
徳川家康の仲介で堺に隠棲する。

『武隠叢話』によれば、先に黒田家を牢人した息子が
豊臣家の世話で堺に住んでいたので、
そこに一族を引き連れて移ったという事だろうか。

息子の方も、豊臣家から米を差し入れしようとした時に
「生活には困っていない」
と断ったというから、
牢人しても後藤家には相当な蓄えがあったようだ。

FAで徳川幕府体制下の他大名に
仕官する事がかなわなかった又兵衛だったが、
幕藩組織からはじき出された
豊臣秀頼にスカウトされて侍大将となる。

いうなれば、はみ出し者同士の主従だ。
そして夏の陣で壮烈な討ち死にを遂げてみせた。


同じく大坂の陣では敵対する
徳川幕府の軍の中にもFA侍がいる。
こちらも有名な渡辺勘兵衛了(さとる)で、
近江の阿閇氏から始まって
羽柴秀吉・秀勝、中村一氏、増田長盛と主君を次々と変え、
この時は藤堂高虎の重臣として出陣していた。

しかし、夏の陣で手柄をたてたものの
高虎と衝突し、戦後牢人してしまう。

「自分は渡り奉公を続け、
 高虎にスカウトされて仕えたが、
 彼のお気に召さない状態となったので牢人した」

と本人は他人事のように書き遺しているが、
そんなのんびりしたものではなく、退転する時は
家来たちが鉄砲の火縄に火をつけて臨戦態勢で皇軍する、
というものものしさだったらしい。

こんな不穏な経緯だから、
こちらも高虎によって長政と同じように
「奉公構(ほうこうかまい)」という、
「俺がクビにしたヤツを雇う大名は敵と見なす」
宣言でFAを封じられてしまった。

勘兵衛はその後二度と仕官せずに人生を終わる事になる。



自分の腕に覚えのある武将たちにはアクの強い部分もあり、
主君と融和する事ができない連中は、
江戸時代に入るとこのように体制の外へ
否応なく身を置かざるを得なくなっていったわけだが、
ゴジラ松井の場合はその性格は彼らと違い温和そのもの。
古傷の脚はもう問題ないわけだし、
なんとか本人にとって良い方向で決まって欲しいものである。